First Chapter

不安いっぱい


 夕刻。
 リーディアは豪華な待合室でその身体を震わせていた。
 どう考えても場違いなところだ。リーディアの格好は使い古して、所々ほつれ色素が薄くなった朱色のワンピース。対して今座っているソファーは、リーディアが着ているものとは天と地の差がある極上質の生地である。
 汚してしまわないか、とか。
 引っ掛けて傷つけてしまわないか、とか。
 落ち着かない。
 時間の経過も遅く感じて、今すぐにでも帰りたい気分だった。
 金に目が眩むだなんて。
 なんて愚かしいことをしたのか。
 あの担当者、クロードの言ったとおり選り好みせずに最初に紹介されたものにしておけばよかった。
 何度もこの場には似合わない溜め息が漏れる。
 ぶつぶつと「帰りたいな」と呟いていると、ドアをノックする音が聞こえて顔を上げた。
「失礼致しますわ。可愛らしい“魔女”のお嬢さん?」
 使用人の手によって開けられたドアから入ってきたのは、赤を基調としたドレスに身を包んだ魅惑的な女性だった。開かれた豊満な胸元、きゅっとくびれた腰、目の端には泣きボクロ。優雅な足取りでリーディアの前まで歩いてきた。
 見惚れて呆然としていると、彼女はふっくらとした唇を吊り上げ右手でリーディアの顎を上向かせる。
「あらあら、本当に可愛らしいこと。リーディア・エル・アプロイツェル……。シアーズの弟子なだけあるわね。あの子、可愛い(・・・・)子が好きだものね」
 そう言うと、女性はリーディアの頬に唇を寄せた。
「……っ!」
 チュッ、と柔らかいものがリーディアの頬に触れた。
 びくりと肩を振るわせて、やっと我に返る。
「わたくしは、ルージュ。ルージュ・ロア・レイツォンよ。……名前くらいは、知っているかしら?」
 女性──── ルージュは、数歩リーディアから離れると優雅にドレスを持ち上げて挨拶をする。
 「知っているかしら?」という問いに、リーディアはこくこくと上下に頭を振った。
 それはもうポロリと首が転げ落ちるんじゃないかというくらいの速さで。
「も、もも、もちろんです! 女帝陛下」
「あら、いやね。そんな堅苦しいのはなしよ。貴女のことは、貴女の師匠であるシアーズからよく聞いていたの。会えて嬉しいわ」
「そ、そんな滅相もありません! わ、わたし如きに、ってえ? あの、師匠と知り合いで……?」
 頭を垂れようとしたリーディアを止めたルージュは、うふふ、と楽しそうに笑うと座るように促した。
「ほら、お座りなさい。立ったままでは疲れるでしょう?」
「え、あ、失礼します」
 ルージュは向かいの席に座ると、リーディアもゆっくりと座った。背筋をピンと伸ばす。
「シアーズは昔からの友人なの。あの子、変わっているから弟子になりたいっていう子はいないだろうと思っていたのだけれど、貴女を弟子にとったと聞いて常々会ってみたいと思っていたところなの。本来であればシアーズを通して面会を、と思っていたのだけれど……。こうして会えるなんてきっと運命なのね」
 うっとりとした表情で見つめられて、息を呑む。
 同性なのに心臓が激しく脈打ち始めた。
 ドキドキする。
「陛下」
「わかっているわ。ユリウスは黙っていなさい」
 諌めるような声に、ルージュはその綺麗な顔を歪めた。
 息を吐いて、背後に控える護衛に命令する。
「本当は一緒にお茶でもしてお話をしたいのだけれど、後ろの小姑がうるさいから本題に入るわね?」
 ルージュは持っていた羽扇を開いて口元に当てる。
「リーディア。貴女にやってもらう仕事は、とある人物の補佐をすること。──── つまり、従者になってもらいたいの。彼は素質はあるのに気弱で、頼りなくて、心配で。ちょうど魔法もしくは魔石を使える子が欲しくて募集したのだけれど、貴女が受けてくれて嬉しかったわ。期間はそうね、長期になることは確かなのだけれど、いつまで、という期限は今の所ないわ。とはいっても、決められないというのが事実ね。報酬だけれど、月に5万コルニ払うわ。必要な諸費用、つまり宿代とか武器などに関しては請求してくれれば、一定額を費用として国から出します」
「──── あ、あの!」
「あら、何か気になる点でもあった?」
 意味はわかるのだが、書類にあった話と違っていて思わず話を止める。
「あの、仕事に関しての話は面接に合格してから、と聞いていたのですが」
「ええ、そうね。最初はそのつもりだったのだけれど、わたくしが欲しいと思っていた子に貴女がぴったりだったから。言うのが遅れたけれど、合格よ。これでいいかしら」
 なんだそんなこと、とばかりの反応に言葉が出なかった。
 沈黙を肯定と受け取ったらしいルージュは満足げに頷く。
「従者として何をするか、ということに関してだけれど。ごめんなさいね、後でユリウスから説明させるわ。なぜかわからないけれど、やらなければならないことがたくさんあるの」
「……それは陛下がめんどうだと後回しにするからでしょう」
「黙りなさい」
 ぼそっと呟いた護衛に、ぴしゃりと言い放つ。
「本当にうるさい小姑だこと。あら、もうこんな時間なのね。わたくしはもう行かなければならないけれど、今日はもう遅いし、ここに泊まっていきなさい。部屋を用意させるわ」
 そう言ってルージュは席から立ち上がる。
 最後ににっこりと微笑んで、「明日、時間を作るからそのときにまた詳しく話すわ」と言って護衛を連れて部屋を出て行った。
 一人残されたリーディアは未だに整理がきちんとできておらず、呆然としながら見送ることになった。
「それではリーディア様」
「お部屋の準備が整いましたので」
「わたくしどもが、」
「ご案内いたしますわ」
 ルージュと入れ替わるようにして二人のメイドが入ってくる。


 あの二人のメイドは恐ろしいほど強引だった。
 家に帰るので大丈夫だと言ったのに、彼女たちは黒い笑みを浮かべるとリーディアの両腕をがっちりと掴み、引きずるようにしてこの待合室同様落ち着かない部屋まで連れてこられた。
「まあまあ、ご遠慮なさらずに」
「女帝陛下のお気持ちですわ」
 そう言って。
 細い彼女たちのどこにそんなチカラがあるのかと考えて、ふと思い出す。
 そうだ。
(わたし、見た目は子供だった……)
 成人を迎えても子供の容姿のリーディアは、その体重も軽い。
 二人もいれば移動させるのは簡単だろう。
 窓の外を見やればもう随分と暗くなっており、これでは帰れない。帰るための馬車も、この時間だとないはずだ。
(今日一日だけ)
 そう思うことにして、恐る恐るベットに潜り込んだ。
「気持ちいい」
 枕に顔を埋める。
 その肌触りといい、ふわふわさといい、家にある安物とは大違いだった。布団とかシーツも。
 そうしているうちに瞼が重くなってきて、そのまま眠りについた。


 2014/01/26 up
 
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